宇陀松山
デザインブック
奈良女子大学生活環境学部
住環境学科専任講師 坂井禎介 監修
はじめに
宇陀松山の歴史
飛鳥時代から「阿騎野」と呼ばれ、宮廷の狩場だった大宇陀に戦国時代「宇陀三将」と称された秋山氏が城を築き、その麓に栄えた城下町が宇陀松山地区の始まりとされています。
以後、宇陀松山藩や天領時代などそれぞれの時代の影響を受けながら、今日の町並みを形成してきました。その町並みが今も生活の場としながらも景観を保ったまま残っている地区です。
2006年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
デザインブックとは
このデザインブックは重要伝統的建造物群保存地区に選定された宇陀松山の景観を守り後世に引き継いでいくために宇陀松山地区の景観を形作っているデザインを取り出し紹介するものです。
宇陀松山地区は平成10年度から12年度に調査がなされ、「せせらぎと手わざの町 大宇陀・松山 一松山・神戸地区伝統的建造物群保存対策調査報告書一」が発刊されました(以下、調査報告書と略)。今回、約20年ぶりに調査をしました。
「重要伝統的建造物群保存地区」(略して「重伝建」)とは
古い民家がその地区全体に残る町並みの内、重要だとして文化財に指定された町並みのことです。
昭和50年の文化財保護法の改正によって「伝統的建造物群保存地区」の制度が発足し、城下町、宿場町、門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになりました。我が国にとって価値が高いと判断したものを重要伝統的建造物群保存地区に選定します。
その地区に選定されると、その町並みの外観を維持するために外観の改変(家の内部の改変は自由度が高い)に一定の制限が設けられますが、破損箇所の修理、古い町並みに合わせて古い外観を作る修景、防災設備の設置、案内板の設置などに対して、補助金が出され、税制優遇も受けることができます。
宇陀松山地区略地図
町家の変遷
重伝建の魅力は、古い町並みが面的に残っているため、様々な時代の民家が見られることです。2階の階高に注目してみてください。2階は、元は物置で、人が過ごすことは想定されませんでしたが、時代が下ると人が入る居室となります。そのため、2階が高くなる傾向があります。また、宇陀松山地区では、後世に2階を増築している町家も多いです。
2階の虫籠窓や、卯建等、時代が下るほど、総じて巨大化する傾向が一般に読み取れます。皆さんも、時代ごとの変化を発見してみてください。
江戸中期(I3)
1
2
3
3
- ①
- シンプルな虫籠窓
- ②
- 古いものは2階が低い
- ③
- 江戸後期以降には格子の上に、装飾的な格子が付けられるようになりますが、江戸中期にはシンプルな格子のみが並びます。
江戸後期(28)
1
2
3
4
5
6
- ①
- 縦向きの虫籠窓、横向きの虫籠窓など、バリエーションが豊富になります
- ②
- 木の格子
- ③
- 卯建が作られますが、昭和のものと比べてまだ小型です。
- ④
- 江戸後期
- ⑤
- 昭和58年に2階を増築しています。
- ⑥
- 江戸末期と、昭和に増築された部分
明治前期(4)
1
2
- ①
- 細い格子(この奥に接客の座敷がある)と②太い格子(座敷に比べて角が低い部屋がある)があり、内部の部屋の格式が外部に表現されています。
大正(I5)
1
1
2
3
4
料理旅館(後に診療所に変化)だったため、意匠が凝らされています。
- ①
- ここには複雑な形の格子がはめられ、華やかさを演出しています
- ②
- 正面側に入母屋造屋根が見えます
- ③
- 完全な2階建て
- ④
- 腰壁のガラス窓が現れる
昭和(I7)
1
2
3
4
- ①
- 屋根の手前まで卯建が巨大化
- ②
- 漆喰の枠の中に木の格子を入れた趣向を凝らしたもの
- ③
- 2階が非常に高く、完全に居室化したことがわかります。
- ④
- 巨大な花こう岩の腰壁
図 建築年代と2階高さの関係
(時代が下るほど2階の高さが高くなることがわかります)
大正時代からは、洋館も建てられました。瓦屋根があり和洋折衷のデザインです。
大和棟の町家や、オリジナルな意匠を持つ住宅もみられます。
町家の特徴
間取り
町家は、一般的に、土間に沿うように居室を入り口から奥にかけて並べる傾向があります。宇陀松山地区では、1列3室型や1列4室型、2列6室型など様々な間取りがみられます(図3-9)。下図は、3列の居室が土間に沿って2列並ぶ「2列6室型」の間取り図です。
土間を挟んで居室と反対側にシモミセ(ミセノマの補助や物置として使う部屋)を持つ町家もみられます。宇陀松山地区では様々な間取りがみられますが、中でも1列○室型と2列シモミセ付型の間取りが比較的多くみられます。
片入母屋
屋根の片側を入母屋造屋根とし、その反対側を切妻造屋根にするものを、片入母屋と呼びます。宇陀松山地区では、交差点に面する町家に片入母屋があります。入母屋が良く見える交差点側に向くことから、入母屋を見せようとしたことが分かります。
下の写真のように、直交する道が神社の参道であり、その参道の奥には入母屋造屋根の神社があります。この神社の屋根に呼応するように、交差点の民家の入母屋造屋根が作られます。
1
2
3
4
- ①
- 北側が切妻造屋根
- ②
- 南の交差点側(=神社の参道側)が入母屋造屋根
- ③
- 神社の参道
- ④
- 神社の入母屋造屋根
虫籠窓
一軒の町家に、形状や文様が異なる複数種類の虫籠窓があります。一様の形だとつまらないので、外観に変化をもたせようとしたのでしょう。以下は明治時代前期の町家(71)です。
外観要素の名称について
宇陀松山地区の町家は、切妻造屋根が多くみられます。地区内には、格子、虫籠窓、持ち送りなどの伝統的な町家の外観要素が数多く残っています。
次ページからは、その伝統的な外観要素の特徴について具体的に紹介していきます。
格子
格子は、外部と内部をゆるやかに仕切ります。格子は、室内からは外の様子が良く見える一方、外からは室内が見えにくい特徴があります。また、日光を取り入れたり、風を通したり出来ます。
この地区の特徴は、一つの家に様々な形の格子があることです。薬の館に絞っても、①〜④の4種類の格子が使われます。格子の太さは部屋の用途によって、異なります。太い格子は土間などに使われ、部屋の格式が高くなると、細く、意匠の凝らした格子が使われます。
薬の館 格子の図面
太い格子
組子が太い格子は、「格子の見つけ幅が50ミリ以上のものを太格子」と定義されます。主に土間やシモミセの外部に使われます。そのため、住宅の玄関の隣に良くみられます。
また、横桟の入る間隔が、町家によって異なります。例えば、格子全体の枠に対し、横桟が等間隔に入る例(A〜C)や、地面から1mほどの高さの位置に横桟が二本セットで入る例(D〜F)がみられます。
参考:日本民俗建築学会『写真でみる民家大事典』(柏書房, 2005, p.63)/川島宙次『民家のデザイン』(相模書房, 平成元年第2刷, p.56)/調査報告書 p.18
細い格子
見つけ幅が「15ミリから35ミリの」*1格子が調査報告書で細格子と定義されます。組子が細い格子は、座敷の外部に多く使用されます。居室の外部に使用される例もあります。
細い格子は、様々な意匠が凝らされます。宇陀松山地区では、縦の組子が上から下まで通ったシンプルな格子の他に、切子格子(G-I)や上部が装飾的な格子(J-L)がみられます。組子の太さが異なる格子(E, H)や、縦の組子の間隔が異なる格子(F, I)もあります。
また、横桟の間隔も家により異なります。等間隔のもの(A, D)が多いですが、地面に近い部分のみ横桟の間隔が狭い格子(B, C)もみられます。これは、江戸時代の町家に多いです。
親子格子
「組子の太さが異なる2種類を組合わせた格子」*2を親子格子といいます。
吹き寄せ格子
「組子を数本おきに間引いた構造の格子」*3を吹き寄せ格子といいます。
雨戸を閉まっておく戸袋を持つ町家もあります。宇陀松山地区では、一枚板を使用したものや、看板が付いたものなど、個性的なデザインもみられます。
切子格子
切子格子は、長い組子と短い組子を組み合わせた格子のことをいいます。縦の組子の組み合わせ方、組子の間隔にバリエーションがあります。
宇陀松山地区で一般的な切子格子
長い組子と短い組子が交互に並ぶ
宇陀松山地区でみられる他の切子格子
親子切子格子
「親か子の組子の上部が切れている格子」*4を親子切子格子といいます。
吹き寄せ切子格子
「縦の組子を数本おきに間引いており、なおかつ上部が切れている格子」*5を吹き寄せ切子格子といいます。
*1-5 引用:調査報告書 p.18
上部の組子の組み方が装飾的な格子
主に座敷に使われます。江戸、明治時代の町家にみられます。
宇陀松山地区に残る江戸中期の町家2軒には、上部の組子の組み方が装飾的な格子は見られません。座敷玄関を持つような規模の大きな家に使用される例が多いと推測されます。
スリアゲ戸
宇陀松山地区では、町家の表構えは、戸を上下に開閉するスリアゲ戸が一般的でしたが、明治初年以降にスリアゲ戸から格子へと替わっていきます。スリアゲ戸から格子へ変化したのには、商いが変化したため、採光を確保したかったためなど、様々な要因が考えられます*1。
現在スリアゲ戸が残る町家は一軒のみですが、痕跡が残る町家は複数あります。
腰壁のガラス窓
時代が下ると、地面から1mほどの腰壁が立ち、その上部に木製や金属製の格子が付けられるようになります。腰壁の部分は、大きな1枚の石が使われることもあります。
上部が装飾的な格子がみられます。
*1 引用:調査報告書 pp.21-22
二階の窓
虫籠窓
2階に設けられる格子状の窓のこと。虫籠のように見えることから、この名前が付けられました。
宇陀松山地区では、四角の窓以外に、丸い形(D)や瓜型(CG)の窓など、様々な形の虫籠窓があります。四角で縦の組子が入った虫籠窓のうち、地区内では窓の中央の組子のみが太いもの(E,K)が多くみられます。
中央の組子が太い虫籠窓は、外枠が設けられる(E)ことが多いようです。
また、窓に外枠がないシンプルな虫籠窓や、角が丸い窓(B,J)は、江戸時代の町家に多くみられます。
窓の大きさは、時代が下ると大きくなる傾向があり、近代以降はガラス窓が普及します。窓の大きさは大正時代以降は特に大きくなります。これは、時代により2階の高さが変化することに関係します。江戸時代中期は2階が居室でないため、2階の高さが低いですが、時代が下るごとに居室化が進み、人が入れるように2階の高さが高くなります。それに従い、窓も大きくなるのです。
枠の内側の輪郭
枠の外側の輪郭
組子の太さ
組子の並び方
虫籠窓
角形(内側)・角丸形(外側)
横向きの組子
木瓜型
丸型
中心に1本太い組子
隅切型
木瓜型
斜めに交差する組子
縁飾型(?)
角丸形
中心に1本太い組子
格子入りの窓
2階の窓には、虫籠窓以外に、格子を取り付ける窓もみられます。
ガラス窓
かつては、大きな1枚のガラスを作ることが困難で、小さなガラスを組み合わせてガラス窓を作っていました。そのため、ガラスの割り付け方によって、ガラス窓は様々な形をしています。
オリジナルな事例として、縦長の木瓜型のガラス窓もみられました。
宇陀松山地区には、町家の前に水路があります。地元の方は「前川」と呼んでいます*1。流れる水は水量が多く、せせらぎの音に風情を感じます。
*1 参照 調査報告書のp.49
袖卯建
「卯建」は一般的に、建物の両端だけ屋根を高くして、小屋根を付けたものを指します。「板屋根の端の保護」*1が、やがて家の格の建築的な表現として*2使われるようになったといわれます。「防火の役目をもつ」*3という説もあります。「うだつがあがらない」という言葉が残っているのは前者の名残です。
「袖卯建」は、2階の壁面の両側に取り付けられた壁のことで、家格の象徴で、本来の卯建と違い、屋根の上ではなく下につけられます。道から良く見えるように屋根の下につくのでしょう。袖卯建は「目隠しの目的」*4があるともいわれます。
宇陀松山地区では、「袖卯建」を持つ町家がみられます。特に、板状で、上広がりの台形の袖卯建(A-J)が多いです。また、数は少ないですが、長方形のもの(O,P)や、屋根の上にあり上部に瓦屋根がついた袖卯建(L-N)もみられます。袖卯建を持つ町家は、江戸時代の建築が多いです。
また、ほとんどの袖卯建の中央に、家紋や文様が入っています。袖卯建の中央に設けられた帯状の装飾は、大正時代以降みられなくなります。
宇陀松山地区で一般的な台形の形
宇陀松山地区の町家には、袖卯建が2階の中央付近にも設けられる事例があり、後世の改造(2軒を1軒につなげた)の結果だと考えられます。
宇陀松山地区では珍しい形
屋根の上にある袖卯建
屋根の上にある袖卯建
屋根の上にある袖卯建
長方形
長方形
特殊な形
*1,2 引用:日本民俗建築学会『写真でみる民家大事典』(柏書房,2005,p.77)
*3 引用:調査報告書のp.19
*4 引用:『建築大辞典 第2版<普及版>』(彰国社,1999 第5刷,p.950)
幕板
幕板は、板葺き屋根の軒先の上部に幕のように取り付けられる横に長い厚板のことです。「垂木の先端に木栓などで固定」*1されます。
幕掛(p.18 下)と同様に、幕を掛ける目的があるとも考えられています。「雨風から店先を守るため」*2に設置されるという説もあります。
宇陀松山地区では、幕板は江戸時代後期の町家に多いです。長方形の板を並べたもの(A〜E)が一般的ですが、長方形の板の間にガラス板が挟まれたもの(F)や、一枚板のもの(G)もあります。
幕板の長さは、住居の端から端まで設置される場合もありますが、1部屋分の幅だけ設置される場合もあります。また、宇陀松山地区では、幕板は町家の玄関がある面に設置されますが、角地に一軒のみ、玄関のある面でなく道に接するもう片側に幕板を設置する町家(B)がありました。しかし、幕板の取り付け方が不自然なため、玄関がある面に取り付けていたものを移動させたと考えられます。
小さな板を並べる例
板とガラスを並べる例
一枚板の例
出桁に切り込みが入っている例
1階の軒を支える出桁に、切り込みが入っている町家があり、幕板の跡だと考えられます。元は幕板がありましたが、後世に何らかの理由で撤去されたということです。
幕掛け
出桁から吊り下げる横木のこと。冠婚葬祭のときに幕をかけるため、幕掛けと呼ばれます*4。横木にはフックが等間隔に設置されています。
*1 引用:日本建築学会民家語彙集録部会『日本民家語彙集解』(日外アソシエーツ,1985,p.697)
*2 引用:亀山市 HP https://www.city.kameyama.mie.jp/docs/2014112311976/machiya2.html(参照日:2024/10/16)
*4 引用:日本建築学会民家語彙集録部会『日本民家語彙集解』(日外アソシエーツ,1985,p.697)
持ち送り
軒が垂れ下がらないように支えるための構造材を持ち送りといいます。しかし、そのような構造の機能だけでなく、家ごとに様々な装飾がなされているのも見どころです。「通常階下の戸口前などの大庇を受けるため」*1に付けられることが多く、宇陀松山地区でも、玄関の近くに設置されている住宅が多いです。
宇陀松山地区では、木材で曲線状にデザインされたもの(A〜E)が多いです。他に「斜めに棒を渡しただけのもの」*2(F)もあります。
持ち送りがある町家の建築年代は、江戸時代や明治時代など古い時代ですが、現存している持ち送りの中には、比較的新しく取り付けられたと考えられるものもあります。金属製の持ち送り(G〜I)は後世に設置されたと思われます。
板状
(持ち送りは建築年代より新しそう)
板状(渦巻)
板状(方杖)
金属製
(持ち送りは建築年代より新しそう)
(持ち送りは建築年代より新しそう)
2階に持ち送りが取り付けられた例(珍しい)
看板
宇陀松山地区には、意匠が凝らされた看板が多くみられます。薬の館には、組物が組まれた屋根を持つ看板があり、非常に豪華な造りになっています。
*1 引用:川島宙次『民家のデザイン』(相模書房, 平成元年第2刷, p.90)
*2 引用:調査報告書の p.20
出入口・座敷玄関
出入口
出入口は、江戸時代のまま残存しているものは無く、近代以降に使いやすいように改変がされています。しかし出入口にも、各家で格子状のもの、洋風の太い框で囲ったものなど、デザインに様々な工夫がなされています。
扉の開き方も、片引き戸、2枚の戸が引違いになるもの、3枚の戸、4枚の戸がそれぞれ引違いになるものなど様々です。
格子戸
ガラス戸
格子戸やガラス戸ではなく板戸の住宅や、引き違い戸ではなく戸袋に戸を引き込む形式の住宅もみられます。
座敷玄関
規模の大きな町家では、土間を通らず座敷に直接出入りが出来るように、座敷の前に出入り口を設けている町家があります。地元の方は「座敷玄関」と呼んでおり、調査報告書にも「ここでは、この特別な玄関を座敷玄関とよぶこととする。」*1と記載されています。
座敷玄関は、土間にある主要な出入口の玄関に比べて小さい傾向があります。現在は、玄関の前に駒寄せや犬矢来が設置されていて、入口として使用されていないことが多いです。
*1 引用:調査報告書の p.22
駒寄せ・犬矢来・煙出し
駒寄せ
道路沿いにある町家で、人が軒下に立ち入るのを防ぐために設けられた柵のこと。「米屋、醤油屋、酒屋などで、積荷を運んできた牛馬をつなぐため」*1に設置されている場合もあるそうです。
宇陀松山地区では、木材をそのまま使用しているものと、栗材に釿ではつって、凹凸のある模様にしているもの(名栗仕上げ)があります。
駒寄せの高さは、格子と同じくらいの高さのものと、上部が少し短くなっており、奥の格子が見えるものの大きく2種類に分けられます。
木材をそのまま使用した例
名栗仕上げの例
珍しい例に、金具を使用したものや、高さが低いものもあります。
犬矢来
建物の壁の地面に近い部分を保護するために取り付けられた囲いを犬矢来といいます。竹を曲げて作られます*2。
宇陀松山地区では、高さが1mに満たない低い犬矢来がみられます。
煙出し
囲炉裏やかまどから出る煙を、外へ逃がすために、屋根の上に作られた排気穴のこと*3。宇陀松山地区では、江戸時代から明治時代の古い町家にみられ、外観にアクセントを加えています。
*1 引用:『建築大事典 第2版<普及版>』(彰国社,1999 第5刷,p.586)
*2 参照:『建築大事典 第2版<普及版>』(彰国社,1999 第5刷,p.94)
*3 参照:川島宙次『民家のデザイン』(相模書房,平成元年第2刷,p.15)
瓦
瓦は、後世に何度も葺き替えられ、年代が分からないため、ここでは、宇陀松山地区でみられる様々な意匠的な瓦を紹介します。
熨斗瓦、棟瓦
屋根の棟には、熨斗瓦と棟瓦が置かれます。熨斗瓦とは、棟に積まれている細長い瓦で、一般的な瓦を半分に割って使われます*1。棟瓦は、熨斗瓦の上、棟の最上部に使われる瓦です*2。熨斗瓦の間に、模様がある棟込み瓦が組み込まれる例もあります*3。
宇陀松山地区では、棟込み瓦に輪違い瓦や青海波、松皮菱などが使われます。
「半円形の瓦を上下互いに重なるように積む瓦」*5
松葉がモチーフだとされています。
鍾馗さん
屋根の棟に、鍾馗さんと呼ばれる魔除けの像が設置されている住宅があります。
鍾馗…「中国で、疫病神を追いはらい魔を除くと信ぜられた神」*6
熨斗瓦
1階の軒と2階壁面の間にある熨斗瓦を紹介します。棟にある熨斗瓦と同様に、模様がある棟込み瓦が組み込まれている町家がみられ、意匠が凝らされています。棟込み瓦には、松皮菱(D)、青海波(E)、輪違い瓦(F)に加え、笹の葉の形をした模様の瓦(G)もみられました。宇陀松山地区で最も使われていた棟込み瓦は松皮菱でした。また、熨斗瓦と熨斗瓦の間を接着するために漆喰を塗る例(C)もみられます。
*1 参照:日本建築学会民家語彙集録部会『日本民家語彙集解』(日外アソシエーツ,1985 第1刷,p.594)
*2,3 参照:『建築大辞典 第2版<普及版>』(彰国社,1999 第5刷,p.1624)
*4,5 引用:『建築大辞典 第2版<普及版>』(彰国社,1999 第5刷,p.879,p.1792)
*6 引用:『日本国語大辞典 第二版 第七巻』(小学館,2012 第二版第七巻第七刷,pp.66-67)
軒桟瓦
軒先に用いる桟瓦です*7。
宇陀松山地区では、鎌軒瓦(A)、万十軒瓦(B,C)が一般的に使用されています。文様が入った瓦が多いのも特徴です。一文字軒瓦は昭和の町家にみられます。
軒丸瓦
軒先に用いられる丸瓦です*8。文様が入っていない瓦(E)と巴の文様の瓦(F)が良くみられます。
宇陀松山地区では、屋根の両端に2列ずつ丸い瓦が設けられる傾向があります。瓦列の幅をあわせるための技法で、この2列の瓦は「風切り瓦」と呼ばれます*9。
鬼瓦
鬼瓦は、棟の端を塞ぐ瓦のことで、装飾にもなっています。鬼は魔除けの意味があり、雲や渦、波の文様は、火事を防ぐ意味が込められています。「瓦の中央には家紋や屋号、あるいは宝珠などの吉祥文を入れることが多い」*10です。
宇陀松山地区でも、中央に文字が入っていたり(M)、家紋が入っていたり(O)、住宅により個性がみられます。
(複数みられる)
(福祉会館、旧町役場)
*7,8 参照:金子智「近世瓦の基本分類―江戸遺跡出土品を中心に―」(『文学研究科紀要別冊第二十集』哲学・史学編抜刷(1993年早稲田大学大学院文学研究科),p.135,137)
*9 参照:調査報告書の p.20,30
*10 引用:川島宙次『民家のデザイン』(相模書房,平成元年第2刷,p.32)
軒裏
軒裏は、木材が見えないように漆喰で塗りこめて仕上げているもの(塗り籠め)と、木材をそのまま見せているものがあります。
宇陀松山地区では、どちらもみられます。塗り籠めの事例では、漆喰で波の模様を作っている軒裏(B〜D)がみられます。塗り籠めない事例の場合も、化粧小舞が付いていたり(G〜I)、木目が美しい板が使われていたり、意匠が凝らされています。ただ、化粧小舞が付いている町家は宇陀松山地区では珍しいです。
大屋根の軒裏に着目すると、漆喰で塗り籠めたものが多いですが、いくつかの町家で、木材をそのまま見せた塗り籠めないもの(J)もみられます。時代が下ると塗り籠めない軒裏の町家が増える傾向にあり、「次第に軽快な仕上げ」*1になるようです。一方で、庇の軒裏は、ほとんどが塗り籠めないようになっています。また、垂木が無い板軒の町家もみられます。
塗り籠める例
垂木の形状を見せる塗り方
垂木の周りが曲線的
丸太の垂木を塗り込める
宇陀松山地区では「のどご」と呼ばれます。
波形
板軒
板軒
塗り籠めない例
①化粧小舞が付いている軒裏の例
化粧小舞とは、軒裏に取り付けられている細い木材のことをいいます。宇陀松山地区では、珍しい装飾ですが、数戸の住宅でみられました。
化粧小舞が2本ずつ取り付けられている
②化粧小舞が付いていない軒裏の例
③板軒の例
*1 引用:調査報告書の p.30
外壁・修景事例
外壁
壁は、白い漆喰か、黒い漆喰で塗られたものが多いです。黄色の壁は少ないです。宇陀松山地区では、壁が漆喰で塗りこめられ、外部に柱が見えない「大壁」と呼ばれる形式の町家と、外壁面に柱が見える「真壁」の町家、両方がみられます。時代が下ると「真壁」の町家が増え、軒裏と同様に「次第に軽快な仕上げとなる」*ようです。
白漆喰
黒漆喰
黄色の壁
明るい青灰色の漆喰
大壁
真壁
* 引用:調査報告書の p.30
修景事例
重要伝統的建造物群保存地区では、新築する場合や、新しい要素を入れる場合に、歴史的な町並みに合わせて外観を整備する必要があります。これを修景といいます。景観に配慮しデザインを工夫することで、快適に生活が出来るように現代的な設備を設置することが出来ます。
ここでは、宇陀松山地区で周囲の景観と調和させた駐車スペースの例、室外機を囲い目立たないようにしている例を紹介します。
駐車スペースの修景事例
①一枚の扉を横向きにスライドさせて開閉する方式
②複数の戸をスライドさせる方式
③扉が上に持ち上がる方式 / ④開き扉方式
番外編
格子から車が見える駐車スペース
室外機・メーターの修景事例
現代の生活に必要な空調設備も、室外機に囲いをして設置することができます。
参考文献一覧
- 『建築大辞典 第2版 <普及版>』(彰国社, 1999 第5刷)
- 日本建築学会民家語彙集録部会『日本民家語彙集解』(日外アソシエーツ, 1985 第1刷)
- 日本民俗建築学会『写真でみる民家大事典』(柏書房, 2005)
- 川島宙次『民家のデザイン』(相模書房, 平成元年第2刷)
- 『せせらぎと手わざの町 大宇陀・松山 ―松山・神戸地区伝統的建造物群保存対策調査報告書―』(大宇陀町教育委員会, 平成13年)
- 『日本国語大辞典 第二版 第七巻』(小学館, 2012 第二版第七巻第七刷, pp.66-67)
- 金子智「近世瓦の基本分類―江戸遺跡出土品を中心に―」(「文学研究科紀要別冊第二十集」哲学・史学編抜刷(1993年早稲田大学大学院文学研究科), p.135, 137)
- 亀山市HP https://www.city.kameyama.mie.jp/docs/2014112311976/machiya2.html(参照日: 2024/10/16)
町家一覧
宇陀松山重伝建地区に残る代表的な町家・建築を紹介します。それぞれの建物が持つ歴史や意匠の違いを比べながらお楽しみください。
旧福田医院
大正14年頃に建立された洋館。福田家は3代にわたって内科・小児科の開業医をしており、この建物を医院として昭和2年から56年頃まで利用していた。現在は、洋館の1階部分は医院に利用し、洋館2階と接続する居住部分は和風のつくりになっている。診察室は大壁づくりで、天井は折上げ天井。敷地には蔵や離れなどもある。
Google Mapで見る森田家(諸木野屋)
片側入母屋・つし2階・桟瓦葺・平入の伝統的町家。1階前面の戸袋に「五龍園」の薬の看板があるのが特徴的。江戸時代後期の建築と考えられる。屋号を「諸木野屋」といい、薬を含めた雑貨を商っていたが、明治初年には商売をやめたと伝わる。現在居住者はおらず、部材の傷みがある。主屋の背面には離れザシキが付いている。
Google Mapで見る澤井家
本町通と上町通の交差点、春日神社の参道に位置する澤井家は、主屋と3つの蔵が道路に沿って配置されている。主屋は江戸時代末期と推定され、屋根は桟瓦葺きの片側入母屋で、妻が本町通に向いている。蔵は、本町通に1棟、上町通りに2棟配置され、桟瓦葺きの切妻造で、焼杉板と漆喰壁の外観が格子の家の連なりの中でアクセントとなっている。家業は油屋、石油ランプ販売、電気屋、米問屋、材木商と変遷したと伝わる。
Google Mapで見る植田家
屋号を「鍵屋」といい、油を商っていたこともあって通称「あぶらや」とも呼ばれる。建物の様相から江戸時代末期の建築とされ、中規模で典型的な町家。敷地は間口7間強と広く、そのうち東3間は敷地を購入して増築したもの。主屋の表のすべての柱間にスリアゲ戸の溝痕跡があり、表構えはすべての間口がスリアゲ戸であった。
Google Mapで見る竹田家
200年ほど前の江戸時代末期の建築と伝えられている、切妻・桟瓦葺・平入の伝統的な町家。通り土間の向かい合う2戸を1棟として使用した、大型の2戸1町家。1階正面には格子戸がはめ込まれ、大屋根と庇には丸瓦が二列に並んでいる。白漆喰が厚く塗り込まれた2階には、意匠の異なる虫籠窓が三種類あり、重厚な雰囲気。
Google Mapで見る山本家(糀甚)
切妻・つし二階・桟瓦・平入。江戸末期から昭和の初めまで造り酒屋を営んでいた旧家で、大きな間口にその趣を残す。各時代の建物を合わせたことで、主屋二階の中程に袖卯建があるのは他に例が無く、その良さを引き立てている。向かって右側の六室は江戸時代後期のもので、すり上げ戸の痕跡が二列共にあるのは町並み調査の中で唯一の事例。左側の三室の座敷列は明治中期に増設したもので、様々な格子や虫籠窓、袖卯建、座敷玄関などの伝統的な要素がよく揃った町家である。城下町の頃、防御のため橋は三か所しかなかった。万法寺との間にも道はなく、昭和二十三年に川むこうまで道路が設けられた。
Google Mapで見る好岡家(油屋・小出口町吉兵衛)
切妻・つし二階・桟瓦・平入。町並み中程の大きな三叉路「水の分かれ」近くに位置する、二列六室の間取りの建物で、幅半間、奥行き一間の座敷玄関を持つ。この玄関をはさんだ左側三室は、店や主要な生活の場として使われ、奥には箱階段が残る。右側の「中の間」は仏間で「奥の間」には手の込んだ意匠の床や棚、付書院などがある。一階には多様で繊細な格子を用い、二階は大壁の漆喰塗りで、虫籠窓を設け、重厚な雰囲気を醸している。上下で対照的な材料を使いながらも外観として調和している様子も町家の魅力のひとつである。
Google Mapで見る「薬の館」(旧細川家):宇陀市大宇陀歴史文化館
唐破風付きの「天寿丸」の看板が目を引く、松山地区のシンボル。現在「薬の館」として町が管理し公開している。間口は8間半と広く、3列タイプの町家でザシキ列の屋根が一段高くなっている。北の2間半のザシキ列は増築である可能性があり、中央部を含む主体部は明治に入って大改造を行った。江戸時代末期の建築とされる。
Google Mapで見る都司家(更紗屋)
主屋には明治4年の愛宕祈祷札があり、明治元年頃の建築と伝わる。屋号を「更紗屋」といい、辻本姓を名乗っていたが、都司となった。2列6室タイプを基本とした間取りで、土間側に広縁を持つ。1列目表に座敷玄関があり、慶恩寺の普山式の時には都司家が僧侶の支度控えに利用され、その時にこの玄関から僧侶が出入りした。
Google Mapで見る黒川本家
切妻・つし2階・桟瓦葺・平入で、間口10間半、2列5室の間取りで前土間がある。愛宕祈祷札に寛政3年とあり、この時期よりもう少し古い建物であると思われる。屋号は「山ノ坊屋」といい、一時期薬も売っていたが、代々葛を商っている。作家の谷崎潤一郎も愛した店。南3分の1を貸家とした子持ち長屋であったとされる。
Google Mapで見る森岡家
入母屋・総三階・桟瓦・妻入。初代は「紀州や」という屋号を使っていたそうだが、昭和十年頃に先代が「森藤旅館」として料理旅館をはじめた。その際に主屋の奥を増築している。旅館は昭和三十年代にのれんをおろし、昭和四十年代に一階部分を改造して診療所を開いた。平入の家が多いこの地域では珍しい妻入りで、部屋数が多いこと、敷地の中を水路が通っている点がこの家の特徴である。最盛期には町内に十数軒の旅館が存在していた。旅館の雰囲気を留めたこの建物から、大宇陀が賑わっていた頃の空気を感じることができる。
Google Mapで見る久保本家
切妻・桟瓦葺・平入、間口10間半の大規模な建物。黒漆喰の外壁が美しい伝統的な町家。主屋の入口には、酒屋の象徴である杉玉がかかっている。当家は元禄15年に創業した造り酒屋で、大正期には全国でも数十台しかなかった車を購入、奈良交通の前進となるバス会社を始めた。現在の主屋は明治42年に建て替えたもの。
Google Mapで見る芳村家
片側入母屋・総二階・桟瓦・平入。建立年代は昭和16年と新しいが、格子・卯建・黒漆喰・前栽など伝統的要素を持った町家。造り酒屋の店舗併用住宅。片側入母屋・桟瓦・平入の建物で、敷地の中には主屋の他に、RC造の工場・蔵・離れがある。特徴は入ってすぐの洋室で、伝統的な表構えの町家の中に洋室を作った点。主屋正面南側には2段の卯建も見られる。主屋正面南側の二段のうだつは、三代目御当主の強い要望で設けられたもので、松山地区では他に見られない意匠である。
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宇陀松山観光ガイド