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宇陀松山 宇陀松山観光ガイド

重要伝統的建造物群保存地区

重伝建の町並み

城下町の記憶を今に伝える、
宇陀松山の歴史的景観。

宇陀松山の歴史

宇陀松山の町並み

飛鳥時代から「阿騎野あきの」と呼ばれ、宮廷の狩場だった大宇陀。戦国時代には「宇陀三将」と称された秋山氏が城を築き、その麓に栄えた城下町が宇陀松山地区の始まりとされています。

以後、豊臣秀長の家臣団による統治、関ヶ原後の福島・織田家の藩政、そして幕府の天領時代と、それぞれの時代の影響を受けながら今日の町並みを形成してきました。

武士の拠点が消えた後も商業地としての機能は途切れず、大規模な改変を受けることなく、江戸から昭和初期の町家が約600mの通りに沿ってそのまま残っています。生活の場としながらも景観を保ち続けるこの地区は、2006年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

重伝建とは

重要伝統的建造物群保存地区」(略して「重伝建」)とは、古い民家がその地区全体に残る町並みのうち、国が重要だと判断し文化財に指定した町並みのことです。

昭和50年の文化財保護法の改正によって「伝統的建造物群保存地区」の制度が発足し、城下町・宿場町・門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになりました。

重伝建に選定されると、町並みの外観を維持するために外観の改変に一定の制限が設けられますが、破損箇所の修理や古い町並みに合わせた修景、防災設備の設置などに対して補助金が交付され、税制優遇も受けることができます。家の内部の改変は比較的自由度が高く、暮らしながら景観を守る仕組みが整えられています。

正式名称
宇陀市松山伝統的建造物群保存地区
選定年
2006年(平成18年)
種別
商家町
面積
約17ha

町並みの特徴

京都の「うなぎの寝床」とは対照的に、宇陀松山の町家は間口も奥行きも広いのが特徴。葛や薬草の加工に広い作業場を必要としたという産業的な背景があります。

格子

格子

建物ごとに異なる格子のデザインは、住む人の職業や時代を反映しています。太さや間隔、組み方の違いに注目してみてください。

虫籠窓

虫籠窓

2階の壁面に設けられた虫籠窓むしこまど。時代が下るほど大きくなる傾向があり、町家の年代を推測する手がかりになります。

持ち送り

持ち送り

軒を支える装飾的な部材。渦巻き・波・雲など多彩な意匠が施され、大工の腕の見せどころでもあります。

袖卯建

袖卯建

隣家との境に立つ袖卯建そでうだつは、防火と富の象徴。「うだつが上がらない」の語源ともいわれる建築要素です。

散策のポイント

01

軒線を見上げる

通り沿いに連なる軒の高さやラインに注目。統一感のある町並みの美しさが実感できます。

02

2階の高さを比べる

古い町家ほど2階が低く、新しいものほど高い。2階はもともと物置だったため、時代とともに居室化し階高が上がりました。

03

格子の違いを探す

太い格子、細い格子、斜めの格子——建物ごとに異なるデザインは、住む人の職業や好みを映しています。

04

通りの構成を意識する

城下町ならではの「鉤の手」(直角に曲がる道)や、武家地と町人地を分ける段差など、防御を意識した町割りが今も残っています。

代表的な町家

宇陀松山重伝建地区に残る代表的な町家・建築を紹介します。それぞれの建物が持つ歴史や意匠の違いを比べながらお楽しみください。

旧福田医院

旧福田医院

大正14年頃

大正14年頃に建立された洋館。福田家は3代にわたって内科・小児科の開業医をしており、この建物を医院として昭和2年から56年頃まで利用していた。現在は、洋館の1階部分は医院に利用し、洋館2階と接続する居住部分は和風のつくりになっている。診察室は大壁づくりで、天井は折上げ天井。敷地には蔵や離れなどもある。

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森田家(諸木野屋)

森田家(諸木野屋)

江戸時代後期

片側入母屋・つし2階・桟瓦葺・平入の伝統的町家。1階前面の戸袋に「五龍園」の薬の看板があるのが特徴的。江戸時代後期の建築と考えられる。屋号を「諸木野屋」といい、薬を含めた雑貨を商っていたが、明治初年には商売をやめたと伝わる。現在居住者はおらず、部材の傷みがある。主屋の背面には離れザシキが付いている。

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澤井家

澤井家

江戸時代末期

本町通と上町通の交差点、春日神社の参道に位置する澤井家は、主屋と3つの蔵が道路に沿って配置されている。主屋は江戸時代末期と推定され、屋根は桟瓦葺きの片側入母屋で、妻が本町通に向いている。蔵は、本町通に1棟、上町通りに2棟配置され、桟瓦葺きの切妻造で、焼杉板と漆喰壁の外観が格子の家の連なりの中でアクセントとなっている。家業は油屋、石油ランプ販売、電気屋、米問屋、材木商と変遷したと伝わる。

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植田家

植田家

江戸時代末期

屋号を「鍵屋」といい、油を商っていたこともあって通称「あぶらや」とも呼ばれる。建物の様相から江戸時代末期の建築とされ、中規模で典型的な町家。敷地は間口7間強と広く、そのうち東3間は敷地を購入して増築したもの。主屋の表のすべての柱間にスリアゲ戸の溝痕跡があり、表構えはすべての間口がスリアゲ戸であった。

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竹田家

竹田家

江戸時代末期(約200年前)

200年ほど前の江戸時代末期の建築と伝えられている、切妻・桟瓦葺・平入の伝統的な町家。通り土間の向かい合う2戸を1棟として使用した、大型の2戸1町家。1階正面には格子戸がはめ込まれ、大屋根と庇には丸瓦が二列に並んでいる。白漆喰が厚く塗り込まれた2階には、意匠の異なる虫籠窓が三種類あり、重厚な雰囲気。

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山本家(糀甚)

山本家(糀甚)

江戸時代後期・明治中期

切妻・つし二階・桟瓦・平入。江戸末期から昭和の初めまで造り酒屋を営んでいた旧家で、大きな間口にその趣を残す。各時代の建物を合わせたことで、主屋二階の中程に袖卯建があるのは他に例が無く、その良さを引き立てている。向かって右側の六室は江戸時代後期のもので、すり上げ戸の痕跡が二列共にあるのは町並み調査の中で唯一の事例。左側の三室の座敷列は明治中期に増設したもので、様々な格子や虫籠窓、袖卯建、座敷玄関などの伝統的な要素がよく揃った町家である。城下町の頃、防御のため橋は三か所しかなかった。万法寺との間にも道はなく、昭和二十三年に川むこうまで道路が設けられた。

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好岡家(油屋・小出口町吉兵衛)

好岡家(油屋・小出口町吉兵衛)

明治20年代(棟札より)

切妻・つし二階・桟瓦・平入。町並み中程の大きな三叉路「水の分かれ」近くに位置する、二列六室の間取りの建物で、幅半間、奥行き一間の座敷玄関を持つ。この玄関をはさんだ左側三室は、店や主要な生活の場として使われ、奥には箱階段が残る。右側の「中の間」は仏間で「奥の間」には手の込んだ意匠の床や棚、付書院などがある。一階には多様で繊細な格子を用い、二階は大壁の漆喰塗りで、虫籠窓を設け、重厚な雰囲気を醸している。上下で対照的な材料を使いながらも外観として調和している様子も町家の魅力のひとつである。

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「薬の館」(旧細川家):宇陀市大宇陀歴史文化館

薬の館(旧細川家)

江戸時代末期

唐破風付きの「天寿丸」の看板が目を引く、松山地区のシンボル。現在「薬の館」として町が管理し公開している。間口は8間半と広く、3列タイプの町家でザシキ列の屋根が一段高くなっている。北の2間半のザシキ列は増築である可能性があり、中央部を含む主体部は明治に入って大改造を行った。江戸時代末期の建築とされる。

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都司家(更紗屋)

都司家(更紗屋)

明治元年頃

主屋には明治4年の愛宕祈祷札があり、明治元年頃の建築と伝わる。屋号を「更紗屋」といい、辻本姓を名乗っていたが、都司となった。2列6室タイプを基本とした間取りで、土間側に広縁を持つ。1列目表に座敷玄関があり、慶恩寺の普山式の時には都司家が僧侶の支度控えに利用され、その時にこの玄関から僧侶が出入りした。

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黒川本家

黒川本家

寛政3年(1791)以前

切妻・つし2階・桟瓦葺・平入で、間口10間半、2列5室の間取りで前土間がある。愛宕祈祷札に寛政3年とあり、この時期よりもう少し古い建物であると思われる。屋号は「山ノ坊屋」といい、一時期薬も売っていたが、代々葛を商っている。作家の谷崎潤一郎も愛した店。南3分の1を貸家とした子持ち長屋であったとされる。

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森岡家

森岡家

大正末頃

入母屋・総三階・桟瓦・妻入。初代は「紀州や」という屋号を使っていたそうだが、昭和十年頃に先代が「森藤旅館」として料理旅館をはじめた。その際に主屋の奥を増築している。旅館は昭和三十年代にのれんをおろし、昭和四十年代に一階部分を改造して診療所を開いた。平入の家が多いこの地域では珍しい妻入りで、部屋数が多いこと、敷地の中を水路が通っている点がこの家の特徴である。最盛期には町内に十数軒の旅館が存在していた。旅館の雰囲気を留めたこの建物から、大宇陀が賑わっていた頃の空気を感じることができる。

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久保本家

久保本家

元禄15年(1702)創業 / 明治42年建替

切妻・桟瓦葺・平入、間口10間半の大規模な建物。黒漆喰の外壁が美しい伝統的な町家。主屋の入口には、酒屋の象徴である杉玉がかかっている。当家は元禄15年に創業した造り酒屋で、大正期には全国でも数十台しかなかった車を購入、奈良交通の前進となるバス会社を始めた。現在の主屋は明治42年に建て替えたもの。

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芳村家

芳村家

昭和16年

片側入母屋・総二階・桟瓦・平入。建立年代は昭和16年と新しいが、格子・卯建・黒漆喰・前栽など伝統的要素を持った町家。造り酒屋の店舗併用住宅。片側入母屋・桟瓦・平入の建物で、敷地の中には主屋の他に、RC造の工場・蔵・離れがある。特徴は入ってすぐの洋室で、伝統的な表構えの町家の中に洋室を作った点。主屋正面南側には2段の卯建も見られる。主屋正面南側の二段のうだつは、三代目御当主の強い要望で設けられたもので、松山地区では他に見られない意匠である。

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宇陀松山をまるごと楽しめます。