神社・お寺・歴史スポット
寺社仏閣・史跡
城下町に息づく祈りと歴史の記憶。
宇陀松山の神社・寺院・史跡をめぐる。
宇陀松山の城下町には、城跡だけでなく、古くから人々の暮らしと信仰を支えてきた神社仏閣や史跡が点在しています。
聖徳太子発願と伝わる古刹、城下町の鎮守として親しまれてきた神社、万葉の歌人が詠んだ風景、そして薬の町ならではの薬草文化を今に伝える史跡——。
城跡登城や町並み散策とあわせて巡れば、宇陀松山の奥深い魅力に出会えます。
神社・寺院
春日神社
祭神、武甕槌命他。本殿、拝殿、神饌所、門、社務所の施設が整い、石造灯籠新古を交え35基を奉建している。当社の旧祠宮と伝える佐々岡家には祭礼記など数通の古文書を蔵している。
1.二つの市指定文化財
・石段登った所左側の水鉢:五輪塔の地輪をくり抜いたもの。織田家四代藩主信武の家臣萩野五郎左衛門が寄進したもの。
・その右側の同じ五輪塔地輪をくり抜いた水鉢:大工井行元の銘文。鎌倉時代、中国宗の石工井行末の後裔。
2.二つの伝承
・手水舎の横にある穴は城に通じ、城に異変があった時、城主が逃げる為の抜け穴と言われている。
・手水舎反対側の杉の古木頭上高くに桜の木が生えている。開花時期には天女が舞い降りたように見えることから、羽衣桜と呼ばれている。
奈良県宇陀市大宇陀拾生
詳細を見る
阿紀神社
神代に神楽岡に創建され、崇神天皇の勅によって神戸大神宮の号を賜わる。安土桃山時代(天正年間)に本郷川西岸の現在地に遷座されたときに、現在の社名へと改められた。江戸時代前期に織田信長の子孫、織田長頼より能舞台が建設され、能が上演されるようになる。それまで宮中でお祀りされていた天照大神を新たにお祀りする地を探す旅に出た倭姫命が、最初にその候補地とした場所であったと伝わっている(元伊勢)。また、このあたりは古代最大の内乱「壬申の乱」の舞台としても『日本書紀』に登場。挙兵を決意し、吉野宮を出発した大海人皇子(後の天武天皇)の一行が「菟田の吾城(あき)」に立ち寄りました。この吾城が阿紀神社の付近とされている。
奈良県宇陀市大宇陀迫間25
詳細を見る
大願寺
7世紀に聖徳太子発願で創建されたと伝わる真言宗御室派の寺院。藤原時代後期の木造十一面観音菩薩立像を本尊とし、11月中旬には参道から本堂周辺が紅葉で彩られます。完全予約制の薬草料理も楽しめる、歴史と食の寺。
奈良県宇陀市大宇陀拾生736
詳細を見る
光明寺
融通念仏宗の寺院。草創は宇多法皇の時代といわれ、天正14年に法俊上人が再興。山門(県指定文化財)は上層に梵鐘が吊るされた鐘楼門であり、屋根は入母屋造、檜皮葺き。梵鐘には寛文13年(1673年)の刻銘があり、木鼻・虹梁の形式から慶安年間から寛文年間の建立とされる。松山・神戸地区で最も古い建物の一つである。
Google Mapで見る
法正寺
曹洞宗、延徳元年の創建と伝え、秋山氏の菩提寺であった。近世になってから織田氏の信仰を得ていた。山門は嘉永6年建築の一間薬医門。水戸黄門の「助さん」のモデルである佐々宗淳(介三郎)の実家とも関係がある。境内の地蔵菩薩は江戸末期に「日本一」と称された名工「丹波佐吉」作と言われている。
Google Mapで見る
上茶愛宕神社
松山地区の北端にある、石垣と塀で囲まれたこの神社の境内は、数多くある地区内の愛宕神社の中で最も広い。明治12年の神社明細帳によると、「祭神:火産霊命(カグツチノミコト)、由緒:不詳、本殿 桁行二尺五寸、梁行二尺」とあり本殿は現在の姿と同規模であり大正11年に玉串門を新築している。本殿の前に枝をひろげるカエデの巨樹は新緑や紅葉の頃には鮮やかな彩を町並みに添えて来訪者を迎えている。
Google Mapで見る
万六愛宕神社
松山地区の北の端、万六地区に祀られる火伏せの神様で、火除け地の役割と町の結界の守護神として勧進された。愛宕神は本地仏が勝軍地蔵だったため勝利の神であったが、祭神が火之迦具土神のためそれが転じて火除けの神とされ全国に広まった。
Google Mapで見る
万法寺
寺伝によると天正13年(1585)創立。浄土真宗本願寺派。県指定の本堂は江戸時代前期の承応2年(1653年)建立。道に面して太鼓楼や太子堂等の建物を並べ町並みの連続性に配慮している。
Google Mapで見る史跡・文化施設
宇陀松山城址
南北朝時代に秋山氏によって築かれ、豊臣秀長の家臣団が守った山城。標高約470mの山上には本丸御殿跡や天守郭跡が残り、大峰山脈や「大和富士」額井岳の眺望が広がります。2006年に国史跡、2017年に続日本100名城に選定。元和元年(1615年)に小堀遠州により破城され、発掘調査では崩された石垣や投棄された瓦が当時のまま見つかっています。
奈良県宇陀市大宇陀拾生
松山西口関門(黒門)
宇陀松山城下町の西門。現在の門は慶長5年(1600年)頃に豊臣家家臣により整備された城の西門。柱や梁が黒く塗られていることから「黒門」と呼ばれる。国の史跡に指定。「高麗門」形式の門。控え柱があるシンプルな構造で、最低限必要な箇所に屋根をかけている。控え柱により、外側からの力に耐性がある。重伝建地区の入口に位置し、ここをくぐると城下町の世界が始まります。
奈良県宇陀市大宇陀下本
森野旧薬園
享保14年(1729)、当時では唯一の私園として森野家当主・森野通貞によって開園された。通貞は近畿一円、美濃、北陸地方の山野からも薬草を採取、幕府に献上した。その報賞として幕府より得た貴重な薬草を自家の薬園に植えたのが、「森野薬園」のはじまりである。「森野薬園」は江戸時代の面影をそのまま残す希少な薬園であることから、民間としては日本最古の薬草園であり、大正15年に国の史跡に指定。園内には四季を通じて約250種類の薬草木が見られ、中でも春に群生するカタクリの花は多くの来園者をひきつけている。(開花時期:3月下旬~4月上旬)
奈良県宇陀市大宇陀上新1880
薬の館
唐破風付きの「天寿丸」の看板が目を引く、松山地区のシンボル。現在「薬の館」として町が管理し公開している。間口は8間半と広く、3列タイプの町家でザシキ列の屋根が一段高くなっている。北の2間半のザシキ列は増築である可能性があり、中央部を含む主体部は明治に入って大改造を行った。江戸時代末期の建築とされる。
奈良県宇陀市大宇陀上2003
かぎろひの丘万葉公園
「東の野にかきろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」万葉歌人柿本人麻呂がこの地で詠んだ秀歌です。"東の空にかぎろいの立つのが見えて、振り返って見ると月は西に傾いている"という夜明けの雄大な景色です。「かきろひ」とは日の出の約1時間前の暗い空に、赤・橙色の光が現れるものをいいます。公園には昭和15(1940)年、歌人佐佐木信綱氏揮ごうの歌碑が建てられました。旧暦11月17日は「かぎろひを観る会」が開催されています。
奈良県宇陀市大宇陀迫間25
寺社仏閣をめぐるなら
城跡登城と町並み散策をあわせた1日モデルコースで、
宇陀松山をまるごと楽しめます。
宇陀松山観光ガイド